2008智恵子ゆかりの東京研修の旅 2008 6/15
2008智恵子ゆかりの東京研修の旅 2008 6/15
研修スケジュール
*智恵子の生家駐車場出発 午前 6時
*日本女子大学(智恵子母校) 午前 10時から11時
*高村家墓参(巣鴨染井墓地) 午前11時半から正午
*昼食(巣鴨地蔵通り商店街 大橋や) 正午から午後一時
*高村家訪問 光太郎智恵子居住跡 午後一時半かた二時半
智恵子純愛通り愛称記念碑題字受納 高村規氏より
*太平洋画会研究所跡(油絵勉強の地) 午後三時から三時四十五分
*ゼームス坂病院跡(紙絵制作終焉の地)午後四時十五分から五時
*智恵子生家駐車場帰着予定 午後十時
*************************************
日本女子大の校門からゼームス坂までこの研修に参加させていただきました。
すごい体験でした。
私は、日本女子大学の高校だけ通わせていただいたので目白の女子大に足を踏み入れたのはこれが始めてでした。
今年は創立者の成瀬先生の没後150年の記念の年に当たります。
6月15日はその記念の展示と大学のオープンキャンバスで、研修旅行には
うってつけの一日でありました。
私は、前々日に智恵子さんの街におりましたが、一日早く戻って女子大の前でお出迎え、、女子大の手配は めいちゃんがすべてして下さいました、
智恵子さんの街からのバスが少し迷ったみたいで
ついたああああ〜〜と出逢った私たち、けいちは智恵子さんの街からみなさんと到着しました
成瀬先生は山口出身で、はじめは牧師さんでした
それがなんと、大阪の梅花学園です。私は幼稚園時代はその梅花幼稚園だったんです
礼拝のことも覚えています、もちろん成瀬先生ではありませんが
私の根底を創った時代だと思っています
成瀬講堂は本当にすばらしい建物でした。フルコンサートピアノに近いグランドピアノが
大切そうにしまってあるの印象的でした。
成瀬先生の総合大学構想として、医学と芸術が組み込まれていたのだそうです、
大学ではそれはいかせなかったけれど、高校にその精神を残されたと
学芸員の方がおっしゃっていました。そうです、私たちには、弦楽が必修であり
数学3物理生物化学2が必修でした。そして私がドイツリートのすばらしさを体感して
「これしかない!」とおもった高校時代だったんです、偶然だけとは思えないことが山のようです。信念徹底 自発創生 共同奉仕 この言葉は私たちの中に響いています。
今回の数多いすばらしい体験のなかでも、高村先生のお宅は衝撃的でした。
智恵子抄の録音を創ったとき、私はその頃著作権とかどうしたらいいのか、全く分かりませんでした。
そこで、母が連れて行ってくれた 安曇野の碌山美術館で 学芸員の千田先生との出逢いがありました。光太郎さんの「手」があったので、聞いてみたら、千田先生が教えてくださいました、著作権者は高村規先生、そして一番の研究者は北川太一先生だと、そして今日があります、
高村先生は光太郎さんの弟さんの息子さんです
その先生が、お声をかけて下さって、いろいろ説明をして下さいました。
十和田湖の裸像を制作なさるにあたってのエピソードはそれは興味深かったです
こうして現実にその場にいらした方にたくさんお話を伺うことが
今一番うれしいことですね。夢くらぶの熊谷さんは「珍しい物をみせてください〜」
と言えてしまう方なので、おかげで私たちは本当に貴重な体験をさせていただけます
世の中で発表していない智恵子さんの紙絵のパーツです。すばらしい配色。。なんて幸せなんでしょう。。。
生誕祭 うまくいったんだってね〜っていってくださって
本当にうれしかったです
太平洋画会の跡地にもうかがいました、ここに日本中の文化が集約したんだ
その後朝日美術館にうかがって千田先生に中村ツネのこともうかがいました
そうかああ〜鳥肌が立つくらい、才能のある人ばかりいたんだ。。
こうして、芸大の周辺に、、私も同じ上野に通えたこと
なんだか、不思議で不思議でなりません。。
モモママは何も言わずに導いたのかなああ?
そして私は
「じゃあそうする〜〜」とこの道を歩いてきました
「何もそこまでしなくても〜〜」とか
「別にやれとはいってない」とか
あといろいろいったけれど、、
本当に、すべてに感謝一杯です
智恵子の街夢くらぶの会員として、これからもがんばります!!
この題字が記されれた、記念碑の前で油井小学校の子供たちと
あどけない話がうたえますように!!!!