★思い出してみます その第一歩  2007/12/15

1991年のころかなあ??私に作曲の仕事がきました。。

 それも文部省の主催の大きなイベントです。私は歌手なのに。。

 でもきっと創れるような「強気の予感」自分のためにしかつくっていなかったのに、この時から私の音楽劇作りが始まります。

 それは確か吉祥寺、博報堂の関係の方達と、島根県の担当の方に出逢いました。それが、今もおつきあいいただいてる 教育長、日体大出身の素敵な土江さんです。

 1992年スポレク島根。10000人の方々に踊っていただきました

  開会式の交響曲。そしてあるとき、そのイベントの式典班長さんであった土江さんがおっしゃいました、加茂町というところに、ホールが出来るから、そこのホールの活動団体を創ろうとおもう、つきましては

 何かしにきてほしい。。

 わおおおお。島根。

時はバブルの終わりごろ、日本中たくさんのホールが出来た頃です。

 1994年の一月から、加茂町にミュージカル作りに出かけました。

  ホールが出来たのが1995年。その時この加茂町にはレッスンできる場所はなく

 幼稚園の遊戯室でござをひきながらのお稽古でした


  幼稚園生から、90歳の方もご参加いただいたのです。

  そのチラシがこのチラシ。


 その時は私も芸名の「川辺ゆり子」なのでした

  そしてその時のキラキラした皆様の目は忘れられません。

   今もいてくださるみなさま。。


 「オーシャンゼリゼ」とただステップを踏みながら歌うだけで本当によろこんでいただきました。

  団体の名前は「ビリオネア大学」


     幼稚園生でも大学生。そして卒業がない大学。

     億万長者大学〜〜それは心の億万長者


       なんて素敵な名前でしょう。


        今15年 継続した今こそ


         その経緯をお話しする時のような気がいたします








































     これがビリオネア大学立ち上げの時の お誘いのチラシです!!!

     これは平成6年 1994年の1月のチラシです