「早稲田アクターズスクールで。。。そして東京ビリオネアシアターヘ!!」

今年度の新しいこと、その一つに 早稲田のアクターズスウタジオでボイストレーニングをしていることもあります。

半分はしっかり大人の男の人。。
私の友人で一緒に音楽劇を創っている人、守屋さんがいます、彼女は桐朋出身の役者さんです。
時にシャンソンなども歌ぅていただいたり。。

                         その彼女との会話

            モモ  早稲田には、男性が多くてね

            モリヤ それはいいわねえええ〜〜〜〜

            モモ  あんなアクション系なんだ

            モリヤ それはますますいいわね、からだもいいし、、頭もや
                  やこしくないし

            モモ  譜面がよめないけれど、私が歌うのを右から左に覚えるし重たいものもっ
                  てくれるし

            モリヤ それは本当にいいわああ〜〜〜

と。。。この会話を聞いていた 私のプロデューサーが「?????!!!」の表情。

これだけ聞いてると。へんですね。 そのくらい、役者や歌手、ダンサーを目指す人は、女子がおおい、。
身体をきたえている人々は歌ののびもはやいはやい。。もうずいぶん歌えるようになってきましたよ。

今度の新作は東京でも平行して稽古をはじめるので、きっと手伝ってくれそうです。
そんな人々もあつまってきました。

別紙の様に東京ビリオネアシアターを始めようかとおもっています、そんなプレイベントです。
是非のぞいてみて下さい。

あと智恵子抄2004。
レコ−ディング後新しい曲も加わっています

 是非お出かけ下さい!!!


 10/30(土)  18:30から

    31(日)  15:30から

 モモの智恵子抄 そして仲間達のプレイベント


 11/2(火)   18:15 ミュージックカフェ シャンソン編


 ☆私の書いた案内文です★

 東京ビリオネアシターヘの路

1992年島根県で文部省のイベントがありました「スポーツレクリエーション大会」です。
毎年、各県持ち回りの大イベントです。
その開会式の交響曲の作曲の仕事をしたのが、島根県との付き合いはじめでした、伝統芸能と私の曲で一万人の人々が歌い踊るのです。
当時その意味が分かっていませんでした。
これほどまでに、歴史が深く、伝統芸能が素晴らしいことも知識不足でしたただ、中学生の時の山陰への旅がいつまでも忘れられない私は、その日の感動とそして島根に降り立ったときの空気で、曲を創り始めました。
交響詩古代へそれが展開していくとは想像だにしていませんでした。

そしてそのイベントが済むと、当時バブル時代でした加茂町でも文化ホールを建設するという話をききました。
そのイベントの式典班長だったかたが、熱血教育長。

箱もの行政を批判され始めたその魁でした。
そこで、ホールの建設前から、ソフト団体。。みんな舞台にたとうじゃないか!!という意気込みから このビリオネア大学が生まれました。
町の人々が名付け親です。

それは1994年の一月のことでした。ホールはまだ青写真。お稽古するのは、幼稚園の遊戯室、外は大雪。。
島根は雪国なのです。。目をまんまるくしながらも100人以上のその目が輝いた人々をみたら私も「これだ!!」
と目からうろこが落ちる気持を押さえられませんでした。
幼稚園生から89歳まで。。。

 踊りもなにもしらないわけですから、、これぞ、モモ式

 「しゃべれればうたえる」です。そして「あるければ踊れる」

大学を目指すとき何処でどのように勉強したらいいのか分らなかった私(高校の二年から声楽を急にめざしましたので)はそのときはっきり自覚しました。

将来舞台を目指す子供達が、ビリオネアにいれば勉強できて、やがては舞台に関わる人間にもなれるそんな場所にしたい!!って。
加茂町はリーダーの若い街です。
町長も慶應ボーイ。。教育長にいたっては、日本体育大学。。なんとも熱血マンなのです。
歌手をめざしたこともある、美声の持ち主。(ムード歌謡が上手!!)

こどもが目を輝かせて夢を描ける話はこのリーダーたちにすぐに受け入れていただけてとうとう、10年を迎えました。
その間もちろんいろんなことがありました。

はっきりいって、よこどりされそうにもなりました。でも、主役は子供達です、歌を楽しむ町民でなくてはいけないのです。
制作事務所のメンバーもほとんど同じ様な年代で、みんながゼロから始まりました。
作品を創り、舞台チームも造り上げ、制作チームも同時に立ち上げです。
そして、10年、オリジナルの作品はオーケストラ版で8作あります。
当時幼稚園だった人が、今年高校生。
幼稚園の時から「オペラ歌手になりたい」と決めていたのです、そして、勉強をするために東京の高校に入学しました。

今東京に舞台を目指して何人も出て来てくれました。
だから私もその人たちが練習してライヴが出来る場所として「アトリエモモ」を昨年6月から創りました。
私の歌手としての毎日の訓練の為でもあります、発声はもとより、毎日バレエのバ−レッスンは、歌手としては当然の訓練だと考えています。

10周年を迎えたときのオリジナル音楽劇のテーマは「きがつくとそこに仲間がいた!!」でした。
そして今度の二月の新作にむけて考えました

 「この様な時代、私達に、ここで出来た仲間達で、なにか世の中に伝えたい!!」

 それは、みんなで、物を、、舞台を創っていきたいということです。
幸い、10年の経験を元に、みんなで創りたい。みんなの心に波動を伝えたいのです。
100曲以上ある楽曲をCD化する モモコスモシリーズも始まりました。
それも10年前から一緒の制作チーム、今年の10月島根に出来たレコードレーベルで、スタジオも松江。。
そこから日本全国へ。そし世界へ。。
やりたいことがはっきり口にできれば、後はすすめばいいのです。

 是非、一緒に !!!

  今回のライヴはその初めの一歩の日なのです

   2004年 10月  神在月の最後の二日    

    それはモンデンモモの10周年でもあり、 ビリオネアの10周年でもあるのです。

      是非。。おでかけください!!

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